「あおのはら」とは?

言葉 詳細
青野原

概要 (Wikipediaから引用)

青野原の戦い(あおのがはらのたたかい)は、南北朝時代の1338年(延元3年/暦応元年)1月20日から1月29日にかけて、美濃国青野原(現、岐阜県大垣市青野町)を含む地域において、上洛を目指す北畠顕家率いる南朝方の軍勢(北畠勢)と、土岐頼遠ら北朝方の軍勢(足利勢)との間で行われた一連の合戦である。 背景 1337年(延元2年/建武4年)8月、鎮守府将軍北畠顕家は、吉野の後醍醐天皇の足利尊氏追討の呼びかけに応じ、義良親王(後に後村上天皇)を奉じ、腹心結城宗広や伊達行朝ら奥州勢を率い、霊山(福島県相馬市および伊達市)を出発した。2度目の上洛戦である。 北畠勢は利根川の戦いで足利勢を破り、新田徳寿丸(後に新田義興)など南朝方の関東諸侯を吸収しつつ、12月足利義詮が守る鎌倉を攻略。足利勢は、斯波家長が戦死したものの(杉本城の戦い)、足利義詮・上杉憲顕・桃井直常・高重茂らは房総方面に脱出した。この前後、北条時行が南朝に降伏し、北畠勢に合流している。 翌1338年(延元3年/暦応元年)1月2日、北畠勢は鎌倉を出発し、足利勢と戦いながら東海道を西上する。