「あおもりへいや」とは?

言葉 詳細
青森平野

概要 (Wikipediaから引用)

青森平野(あおもりへいや)は、青森市の中心部の大半を占める平野である。 堤川、沖館川、赤川、沼川、新城川、野内川など、大小様々の複数の河川が作り上げた比較的小規模な平野である。 縄文時代は、小牧野遺跡や三内丸山遺跡など、数々の遺跡が存在することから、当時の人々が生活していたことが知られる。ただし、当時の海岸線は現在よりもかなり陸地側に入り込んだところにあったと思われる。その後も、海岸部には長らく湿地帯が多く残っていたと思われる。 平安時代、蛍沢遺跡などで稲作が行われていた形跡がある。 中世までには、いくつかの城館が築かれた。15世紀末頃に南部氏の一族が「堤ヶ浦」に入り、館(現在の青森市堤町から松原にかけての地域)を開き、のちに横内に移ったという。「堤ヶ浦」付近には、「包宿(つつみのしゅく)」と呼ばれる宿場があったと伝えられる。 近世初期に、同地は大浦氏(のちの津軽氏)の支配に変わり、寛永年間、津軽信枚により青森の町が開かれ、深沢(青森平野)および外浜(そとがはま)の中心地を兼ねる港町として発展する。