「あさのたくみのかみ」とは?

言葉 詳細
浅野内匠頭

概要 (Wikipediaから引用)

『浅野長矩』より : 浅野 長矩(あさの ながのり)は、播磨赤穂藩の第3代藩主。官位は従五位下 内匠頭。官名から浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)と呼称されることが多い。赤穂事件を演劇化した作品群『忠臣蔵』を通じて有名。 生涯 赤穂藩主 寛文7年8月11日(1667年9月28日)、浅野長友の長男として江戸鉄砲洲(現東京都中央区明石町)にある浅野家上屋敷(現在聖路加国際大学がある場所)において生まれる。母は長友正室で鳥羽藩主・内藤忠政の娘・波知。幼名は祖父・長直、父・長友と同じ又一郎。 寛文11年(1671年)3月に父・長友が藩主に就任したが、その3年後の延宝3年1月26日(1675年2月20日)に長友が死去。また生母である内藤氏の波知も寛文12年12月20日(1673年2月6日)に亡くなっており、長矩は幼少期に父も母も失った。 延宝3年3月25日(1675年4月19日)、長矩は9歳で赤穂浅野家の家督を継ぎ、第3代藩主となる。同年4月7日(5月1日)には4代将軍・徳川家綱に初めて拝謁し、父の遺物備前守家の刀を献上。