「いいとよあおのひめみこ」とは?

言葉 詳細
飯豊青皇女

概要 (Wikipediaから引用)

飯豊青皇女(いいとよあおのひめみこ、允恭天皇29年(440年)? - 清寧天皇5年(484年)11月?)は、記紀に伝えられる5世紀末の皇族(王族)。履中天皇の皇女、または市辺押磐皇子の王女。 第22代清寧天皇の崩御後に一時政を執ったとされ、飯豊天皇とも呼ばれる。 名前 飯豊皇女または飯豊王女(読みは共に「いいとよのひめみこ」)と書かれることが多い。他表記ならびに別名は、飯豊女王(いいとよのひめみこ)、飯豊王(いいとよのみこ)、飯豊郎女(いいとよのいらつめ)、青海皇女(あおみのひめみこ)、青海郎女(あおみのいらつめ)、忍海郎女(おしぬみのいらつめ)、忍海部女王(おしぬみべのひめみこ)、忍海飯豊青尊(おしぬみのいいとよあおのみこと)。 「いひとよ」とは古語でフクロウのことをいい、「おしぬみ」は葛城内の地名・忍海で、飯豊王の本拠地。忍海部は、飯豊王の子代(こしろ)の部民(べのたみ)であるが、単なる農民部ではなく漢人(あやひと)をかかえた雑工部(物品製造に携わる職工集団)でもあったらしい。