「いけのぜんに」とは?

言葉 詳細
池禅尼

概要 (Wikipediaから引用)

池禅尼(いけのぜんに、長治元年(1104年)? - 長寛2年(1164年)?)は、平安時代末期の女性。平忠盛の正室。平清盛の継母に当たる。後に崇徳天皇の皇子・重仁親王の乳母となる。父は藤原宗兼、母は藤原有信の娘。中納言・藤原隆家の後裔。名は宗子。 生涯 保安元年(1120年)頃、平忠盛と結婚し、忠盛との間に家盛、頼盛を産んでいる。待賢門院近臣家の出身だったが、従兄弟には鳥羽法皇第一の寵臣・藤原家成がいたことから美福門院ともつながりがあった。その幅広い人脈により「夫ノ忠盛ヲモモタヘタル者(夫の忠盛をも支えるほどの者)」(『愚管抄』)と呼ばれ、忠盛の妻たちの中で最も重んじられていた。また、崇徳上皇皇子・重仁親王の乳母にも任ぜられた。この重仁親王は近衛天皇崩御の後、皇位継承の可能性もあった。 仁平3年(1153年)、夫が死去すると出家し、六波羅の池殿で暮らしたことから池禅尼と呼ばれた。保元元年(1156年)、鳥羽法皇崩御により保元の乱が勃発すると、忠盛夫妻が重仁親王を後見する立場にあったことから平氏一門は難しい立場に立たされた。