「おうご」とは?

言葉 詳細
応其

概要 (Wikipediaから引用)

『木食応其』より : 木食応其(もくじきおうご、天文5年(1536年)- 慶長13年10月1日(1608年11月8日))は、安土桃山時代の真言宗の僧で、外交僧・勧進僧・連歌学者。法名(法諱)を応其(應其)、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称。 生涯 応其の出家以前に関して明らかにする資料は、ほとんどないとされている。 近江国の出身とされており、小瀬甫庵の信長記には「江州守山辺」としている。中田法寿の説では応其の父は佐々木義秀で、父とともに六角義賢の近江観音寺城に籠って織田信長に抗戦。永禄11年(1568年)に豊臣秀吉に攻め滅ぼされ、大和国高取城の越智氏を頼ったとしているが、和多昭夫は六角氏が織田氏に反攻している中で佐々木氏一族の応其が一人大和に逃れることは考えにくいとしている。高野山通念集では藤原氏であるとしている。応其の編した無言抄の奥付には、応其が出家したのは「亡君越智淡路守の追善」の為であるとしている。 高野山入り 天正元年(1573年)に38歳で高野山において出家し、宝性院の勢誉から受戒、名を応其と改めた。

淡河

概要 (Wikipediaから引用)

『志染川』より : 志染川(しじみがわ)は、兵庫県南部を流れる加古川水系の川。一級河川。 狭義では、神戸市北区山田町下谷上で山田川と箕谷川(みのたにがわ)が合流してから、ダム湖のつくはら湖、三木市志染町での淡河川(おうごがわ)合流を経て三木市久留美で美嚢川(みのうがわ)と合流するまでを指すが、広義の志染川として上流の山田川をも含むと、全長23.199kmになる。以下では、山田川・箕谷川合流点から美嚢川合流点までを「志染川」として記す。 地理 志染川 箕谷川が南方から合流し、志染川と名を変えてからは、神戸市北区のニュータウン群を南に見上げつつ、徐々に山間部へと入っていく。北区も西端近くに差し掛かると、本流を堰き止めたつくはら湖が現れる。このダム湖は、三木市との境を越えた呑吐ダムまで続く。三木市へ入ると北西流に転じ、北東から淡河川が合流してくる。ここからは概ね西流。沿岸では河岸段丘が発達し、谷間は水田となっている。三木市街の北東で美嚢川に注ぐ。 山田川・つくはら湖 山田川は、神戸市北区上谷上と同市灘区六甲山町シャクナゲにかかる石楠花谷を源流とし、いったん北上して西流に変わる。

概要

Wikipediaからデータを取得しようと試みましたが該当するデータがありませんでした。