「おおご」とは?

言葉 詳細
大胡

概要 (Wikipediaから引用)

大胡城(おおごじょう)は、群馬県前橋市河原浜町にあった中世の日本の城(平山城跡)で、大胡氏・上泉氏の居城であった。後に近世初頭に徳川氏の臣・牧野氏が入り城主になった。 天文年間(1532年 - 1555年)に築城されたとされ、元和2年(1616年)廃城となった。 大胡城は大胡氏の居城であった。大胡氏は藤原秀郷の子孫であり、東毛地方で勢力を扶植していた豪族であった。「吾妻鏡」の建久元年(1190年)の記事には大胡太郎の名前が見えるので、鎌倉時代の初期にはすでにこの地域の有力な支配者であったと思われる。しかしこの頃の大胡氏の居館は、現在の大胡城ではなく、城の西300mほどの所にある養林寺の辺りであったのではないかと推定されている。また、現存の城趾には近世大名牧野氏の城主時代の縄張りや構造が認められる。 歴史・沿革 古河公方・横瀬氏との戦い 南北朝時代、観応の擾乱に際して大胡氏は山上氏らと共に足利尊氏に与し、足利直義方の桃井直常、長尾景忠と笠懸野で戦って敗れたが、やがて尊氏は勢力を回復し直義を自害に追い込んだ。

大郷

概要 (Wikipediaから引用)

大郷町(おおさとちょう)は、宮城県中部黒川郡に位置する町である。 地理 宮城県のほぼ中央に位置する町である。町の中央を吉田川が東西に流れ、川に沿って田畑が広がる。南北は丘陵が広がる。北側は大松沢丘陵、南側は松島丘陵である。 山:石倉山(130.2m)、愛宕山(141m) 河川:吉田川、鶴田川 人口 この内容は,大郷町発行「おおさと」による。 縄文時代・中期とみられる大松沢貝塚が大松沢にあり、粕川には、5~6世紀に築造されたとみられる古墳がある。平安時代・初期の土壙墓も勢見ヶ森で発掘されている。羽生・川内地区には、鎌倉時代から室町時代末期にかけてこの地区を開発・支配した土豪がいた。大松沢には1500年代から明治維新の頃まで勢力を保持した大松沢氏が15代まで続いていた。かつては、吉田川や鶴田川に近い水田地帯には、江戸時代からの干拓により消滅した品井沼があった。 1954年(昭和29年)7月1日 大谷村、粕川村、大松沢村が合併、大郷村が発足。