「おおみぞ」とは?

言葉 詳細
大溝

概要 (Wikipediaから引用)

大溝藩(おおみぞはん)は、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市勝野)に存在した藩。藩庁は大溝陣屋。 藩史 戦国時代、大溝は織田信長の家臣・磯野員昌や津田信澄が治めていた。元和5年(1619年)8月27日、伊勢上野藩から移封された分部光信が2万石で入部することにより、大溝藩が立藩した。光信は陣屋や武家屋敷の建設に尽力し、幕府においても大坂城本丸普請や比叡山延暦寺の造営奉行として活躍した。寛永20年(1643年)に光信が死去して子の分部嘉治が後を継いだが、明暦4年(1658年)7月9日、妻の叔父に当たる池田長重と些細なことから口論となって長重を斬殺してしまい、自分も長重によって負わされた刀傷が原因で翌日に死去してしまったのである。家督は子の分部嘉高が継いだが、嘉高は寛文7年(1667年)6月12日に20歳で嗣子無くして若死する。このため、分部氏の系統はわずか3代で断絶した。 このため、第4代藩主として嘉高の母の縁戚に当たる備中松山藩から分部信政(池田長信の三男で、皮肉にも池田長重の甥に当たる)を養嗣子として迎えた。