「くろこま」とは?

言葉 詳細
黒駒

概要 (Wikipediaから引用)

黒駒 勝蔵(くろこまの かつぞう、1832年(天保3年) - 1871年11月26日(明治4年10月14日)?)は、幕末の侠客、尊王攘夷派の志士。本名:小池 勝蔵(こいけ かつぞう)。 出生から博徒時代 黒駒勝蔵は甲斐国八代郡上黒駒村若宮(現山梨県笛吹市御坂町上黒駒)の名主・小池嘉兵衛の次男として生まれた。 幼少期には村内にそびえる神座山に鎮座する檜峯神社(ひみねじんじゃ)の神主・武藤外記が嘉永5年(1852年)に開いた私塾・振鷺堂(しんじゅどう)に学ぶ。勝蔵は後年に尊皇攘夷運動に参加していることから、武藤外記・藤太親子の国学思想に影響を受けたとする説もある。 安政3年(1856年)7月に勝蔵は生家を出奔し、竹居村(笛吹市御坂町竹居・笛吹市八代町竹居)の中村甚兵衛・竹居安五郎兄弟の子分となる。竹居村は上黒駒村の隣村で、上黒駒蔵と同じく石和代官支配で、檜峯神社の神領も分布している。 この頃、甲斐国では甲府の三井卯吉とその子分である国分三蔵・祐天仙之助が勢力を持ち、三井卯吉の勢力が中村兄弟や鴨狩津向村の津向文吉らの博徒勢力と敵対していた。