「ぜっかい」とは?

言葉 詳細
絶海

概要 (Wikipediaから引用)

絶海 中津(ぜっかい ちゅうしん、建武元年11月13日(1334年12月9日)- 応永12年4月5日(1405年5月3日))は、南北朝時代から室町時代前期にかけての禅僧・漢詩人。道号は絶海のほかに要関、堅子、蕉堅道人など多数ある。義堂周信と共に「五山文学の双璧」と併称されてきたが、20世紀後半から義堂より詩風の高さを評価され、五山文学ひいては中世文芸史の頂点を為すと論じられている。 建武元年(1334年)11月13日、土佐国高岡郡津野(高知県高岡郡津野町)を支配していた豪族・津野氏の一族として生まれる。義堂周信とは同郷である。貞和4年/正平3年(1348年)に上洛して天竜寺に入った。観応元年/正平5年(1350年)に剃髪する。そして翌年に師匠である夢窓疎石が死去するまでは、その側に仕えたと言われる。 夢窓疎石死後の文和2年/正平8年(1353年)に建仁寺の竜山徳見のもとへ赴き、同じく徳見の門下にあった義堂周信と共に教えを受けた。しかし翌年に竜山が南禅寺に移ったため、新たに赴任してきた大林善育のもとで教えを受け、そのもとで湯薬侍者を務めた。