「たいらのとももり」とは?

言葉 詳細
平知盛

概要 (Wikipediaから引用)

平 知盛(たいら の とももり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の四男。母は継室の平時子で、時子の子としては次男となる。同母兄に平宗盛、同母妹に平徳子がいる。世に新中納言と称された。 生涯 平氏全盛期 仁平2年(1152年)、父清盛35歳の時に継室・時子を母として生まれる。同母兄の宗盛は6歳、異母長兄の重盛は15歳であった。翌年に祖父忠盛が死去し、清盛が平氏棟梁となる。 平治元年(1159年)正月に8歳で従五位下となる。同年12月の平治の乱で清盛が勝者となり、平氏一門と共に栄進していく。翌永暦元年(1160年)2月、平氏の戦功として東国の重要な武蔵国が清盛の知行国となり、知盛が武蔵守となった。その後再任して8年間同職にあり、治承4年(1180年)以降は武蔵国の知行国主となって長年同国を支配し、多数の平氏家人を獲得した。武蔵は河内源氏の勢力が強い地域であり、知盛の武将としての才能・人間的魅力が大きく作用したと思われる。 兄の重盛・宗盛は後白河院に対して優柔不断であったため、清盛は知盛に期待をかけたらしく25歳の頃「入道相国最愛の息子」(『玉葉』安元2年12月5日条)と呼ばれている。