「たいらのもりくに」とは?

言葉 詳細
平盛国

概要 (Wikipediaから引用)

平 盛国(たいら の もりくに)は、平安時代末期の伊勢平氏の武将。平清盛の側近。 父は平盛康、または平盛遠(『平家物語』)、平季衡(『尊卑分脈』)など諸説あるが、平正度に連なる一族と見られる。 子息・盛俊と共に「主馬判官管親子」などと称される事から、本拠は伊勢国壱志郡須可郷(現三重県津市)で、その荘官を務めていたと考えられている。他に鎮西にも知行所を有している。 生涯 清盛の側近として仕え、保元元年(1156年)の保元の乱、平治元年(1159年)の平治の乱では、一門衆の要となる侍大将として嫡男・盛俊と共に戦い、多くの功績を挙げた。 保元2年(1157年)10月、信西による大内裏造営での功により、右衛門尉、ついで左衛門尉となる。長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納された平家納経の製作に関与している。永万元年(1165年)正月、検非違使に補任される。仁安元年(1166年)10月、憲仁親王の立太子に伴い、東宮の主馬首を兼任し、主馬判官と呼ばれる。平家貞の死後は、盛国が平家第一の郎党となり、平氏宗家の家令(執事)としての役割を担った。