「ばいしん」とは?

言葉 詳細
陪臣

概要 (Wikipediaから引用)

陪臣(ばいしん)は、武家の主従関係において家臣の家臣を指した呼称。又者(またもの)、又家来(またげらい)とも呼ばれた。 他の国々の同様の身分についても用いられる。 武士団やそれを基盤にした江戸時代の幕府や各藩の官僚機構は、家相互の主従関係のネットワークで構成されていた。将軍、藩主が直接掌握し、命令権を持つのは直接の主従関係を結んだ家臣(直臣)だけであり、家臣がさらに召し抱えた者については主従関係を持たなかった。こうした、主人を持つ武士が家臣として召し抱えた武士を陪臣と呼んだ。 江戸時代の陪臣 江戸幕府の制度においては、将軍の直接の家臣である大名や旗本は直参、彼らの家臣は陪臣とされた 。直参が蔵米取りの下級旗本であっても将軍への拝謁が許されていたのに対し、陪臣はたとえ大藩で1万石以上と大名並みの石高を有する家老、藩主一族でも拝謁は許されなかった。彼らは将軍との主従関係を持たず 、拝謁の資格を有しなかったのである。陪臣でありながら将軍に拝謁を許されることは大変な名誉であり、将軍の代替わりごとに拝謁を許されるなどの待遇を与えられることは、陪臣としては抜きんでた名門であることの証でもあった。

陪審

概要 (Wikipediaから引用)

『陪審制』より : 陪審制(ばいしんせい、英: Jury system)は、民間から無作為で選ばれた陪審員(ばいしんいん)が、刑事訴訟や民事訴訟の審理に参加し、裁判官の加わらない評議によって事実認定と法の適用を行う司法制度である。 陪審員の人数は6~ 12名である場合が多く、その合議体を「陪審」という。陪審は、刑事事件では原則として被告人の有罪・無罪について、民事事件では被告の責任の有無や損害賠償額等について判断する。 現在は主に、アメリカ合衆国やイギリスをはじめとするコモン・ロー(英米法)諸国で運用されている。日本でも、1928年(昭和3年)から1943年(昭和18年)まで行われていた。なお、2009年に開始された日本の裁判員制度は、厳密な意味では陪審制とは異なるものである。 構成 陪審には、刑事事件で被疑者を起訴するか否かを陪審員が決定する大陪審(だいばいしん、grand jury、起訴陪審とも)と、陪審員が刑事訴訟や民事訴訟の審理に参加する小陪審(しょうばいしん、petit jury、審理陪審とも)がある。