「みいけ」とは?

言葉 詳細
三池

概要 (Wikipediaから引用)

『三井三池争議』より : 三井三池争議(みついみいけそうぎ)は、三井三池炭鉱で発生した労働争議。大規模なものは、1953年(昭和28年)と1959年(昭和34年)~1960年(昭和35年)に発生したものの2回があるが、一般的に後者のみを三池争議または三池闘争と呼ぶことが多い。 事件推移 前史 三井三池炭鉱は、福岡県大牟田市から熊本県荒尾市にかけて広がっていた三井鉱山系の炭鉱で、第二次世界大戦終戦によるGHQの民主化政策により、1946年(昭和21年)に労働組合が結成された。もともと三池炭鉱労組は労使協調派の力が強く、労働争議などには消極的な組合であった。 しかし、1947年(昭和22年)頃から、大牟田市出身で三池炭鉱ともゆかりの深い九州大学教授の向坂逸郎が頻繁にこの地を訪れるようになり、向坂教室と呼ばれる労働者向けの学校を開いて『資本論』などを講義するようになってから、労組の性格は一変する。

御池

概要 (Wikipediaから引用)

御池(みいけ)は、宮崎県都城市と高原町との境界に存在する直径約1km、周囲3.9km、ほぼ円形の火口湖である。高千穂峰の威容を湖面に映している。 地理 水面の標高は305m、水深は93.5mあり、火口湖としては日本で最も深い。池から流出する川はない。森に囲まれており、池畔には「御池野鳥の森」と呼ばれる公園とキャンプ場がある。オシドリ、コガモ、トモエガモなどの水鳥が多く生息する。 地質 御池は霧島火山群の火山活動の一つとして約4600年前に起きたマグマ水蒸気爆発で形成された火口に水が溜まってできた。これは同火山群の歴史の中でもっとも大きな噴火であった。火口爆発によって飛散した軽石が周辺の地層に残されており、御池軽石あるいは御池ボラと呼ばれている。 池岸には松の港、軀瀬港、皇子港、創崎港、苅茅港、柳港、護摩壇港の七港があったとされ、神武天皇が幼少の頃、皇子港の水辺で遊んだという伝説がある。