「やおいた」とは?

言葉 詳細
矢尾板

概要 (Wikipediaから引用)

矢尾板 貞雄(やおいた さだお、1935年11月28日 - )は、日本の元プロボクサー、ボクシング解説者。東京都渋谷区出身。OBF東洋フライ級、日本フライ級王者。右ボクサータイプ。後に競馬評論家としても活躍した。 1955年9月28日、後に日本王者となった野口恭相手にデビュー戦を行い、引き分けとなった。ボディに打たれ脆い面があり、6回戦時代には2連続KO負けの記録があるが、その後は復調し、強豪三迫仁志に判定勝ちする金星を挙げて注目される。その後は、速いフットワークを武器に、KO勝ちは少ないものの、ヒット・アンド・アウェー戦法で日本王座、東洋王座を奪取、東洋では敵なしを誇った。 1959年1月には、世界フライ級王者パスカル・ペレスと10ラウンドのノンタイトルマッチで戦い、判定勝ちした。王者の強打をフットワークで封じたもので、ペレスは試合後に「矢尾板はマラソンランナーになればいい」と負け惜しみを言った。この勝利により、矢尾板は白井義男以来二人目の世界王者になると期待されるようになった。しかし同年11月、大阪市の扇町公園大阪プール特設リングで行われたペレスとのタイトル戦では、第2ラウンドにダウンを奪ったが、第13ラウンドにノックアウト負けし、王座奪取はならなかった。

八百板

概要 (Wikipediaから引用)

八百板 正(やおいた ただし、1905年4月12日 - 2004年4月23日)は、日本の農民運動家・政治家。元日本社会党衆議院議員・参議院議員。 来歴・人物 福島県伊達郡飯野町に生まれる。福島中学校(現福島県立福島高等学校)に進むが、中退。福島中学の恩師だった阪本勝(のち衆議院議員・兵庫県知事)を頼り、安部磯雄らの日本フェビアン協会に参加。河上丈太郎・賀川豊彦・櫛田民蔵の知遇を得る。1929年に郷里に帰って東北新人会を結成、伊達郡を中心に小作争議を指導し度々投獄される。1933年に全国農民組合(全農)中央委員に選出。 戦後、日本農民組合(日農)の再建に関わり中央農地委員会委員・日農書記長・全日本農民組合連合会(全日農)会長を歴任。その一方で1947年第23回衆議院議員総選挙に福島1区から日本社会党公認で出馬し当選(以来当選11回)。 社会主義協会との対立が激化(八百板は反協会派の旗頭の一人だった)する中、1979年の第35回衆議院議員総選挙では落選するが、翌年の第12回参議院議員通常選挙で福島県選挙区から参議院議員に鞍替え当選し、政界復帰を果たす。